ミソノピアの風に漂いながら 8

【遊歩道ことはじめ】 番外編/ドライブ・マイ・カー

6月にもなると遊歩道の木々は緑を濃くし、土の上の苔も青々とし、まるで森のなかを歩くような気分になる。
じつは朝一番の遊歩道で顔を見るのが楽しみだった「ちいさきもの」が突然その姿を消してしまった。切り株のくぼみに隠れるように潜んでいた「赤い小さな金魚?」のようなオモチャがどこかに行ってしまったのだ。
きっと、もっと棲み心地のよいところにでも引っ越したのだろうから、捜索願は出さないでおこう。
森のなかの遊歩道のような場所で、そんな赤い小さなものを見ていたら、昔に観た宮崎アニメ「となりのトトロ」の「まっくろくろすけ」を想い出した。
宮崎作品では超高評価の「千と千尋の神隠
し」もいいが、昭和生まれ、昭和育ちの私
には、全編にわたり昭和の暮らしが溢れる
「となりのトトロ」の方が断然好きだ。

昔観たそんな映画に触発された私は、さいきん話題になっていた「ドライブ・マイ・カー」を観たくなり、レンタルビデオを借りてきた。
この映画はいろんなメディアで取り上げられているので、私がとくに感じたことだけを述べたい。

まずは上映時間が3時間という長さにあることと、オープニングタイトルなどの文字が映し出されるのは上映がはじまってから40分も経ってからには驚いた。
物語には大きな起伏はないが不思議と飽きることはなく観終えた。劇中劇の本読みのシーンにかなりの時間が費やされているがその意味がラストで理解できた。
クルマの運転手としての配役の三浦透子は台詞が極めて少なく、ぶっきらぼうだが、相手役との絶妙な距離感など、その存在感には圧倒され続けた。この映画はこの若手女優で持っていると感じたほどだ。
これまでの日本映画にはなかった、わかりにくさに満ちた作品だが、日にちが経つほどに、人との関わり方で大切なものを諭されているように思えてくる。私が理解し得たことは、監督が伝えたかったことの一部分に過ぎないけれど、私には以下に述べるラストシーンで出逢った言葉は、自身の末路を照らす灯火としたい。
そう、なんといっても劇中劇「ワーニャ伯父さん」のラストで語られる言葉は、とても印象的だ。神と人との関係を考えさせられるその言葉をラストシーンにすることで、この映画が作られたのかもしれないと思った。
信仰心のない私でさえ、心の底が救われる思いがしたほどだ。
「ワーニャ伯父さん」はロシアが生んだ劇作家チェーホフの戯曲であり、ロシアには文豪トルストイをはじめドストエフスキーなどの文豪がいた。

そのおなじロシアに生まれ育ったのが「プーチン」なのである。