8月は、広島

原爆ドーム

ご入居者様 ご家族様

夏・・・8月になると、必ず語りたくなる話があります

13、4年前 広島市内の有料老人ホームに2年間 赴任しておりました。
そこの有料老人ホームは、広島市内を見渡せる高台の頂上にあります。

先人の教えにありますが、『赴任先でプロ野球の話題をしてはいけない』と(⌒∇⌒)

中日ファンが多い!?ミソノピアのみなさんの前で、“広島市民球場”の話をさせていただきます。
そう!“広島市民球場”といえば・・・自分が一時期魅了された広島東洋カープ本拠地球場です。
自分が、赴任期間中に“広島市民球場”が閉鎖となり、新球場の“MATUDA Zoom‐Zoomスタジアム広島”が新しい拠地に誕生という記念すべき機会に遭遇できました。
ホームの屋上から、歓声まで聞こえるかのように新球場のライトが元気にまぶしいほど明るく見えます。

そして、2010年9月“広島市民球場”(1957年7月~2009年3月)は、静かに一部を残して解体されました。
その“広島市民球場”の前に、静かに平和を訴えている“原爆ドーム”があります。
みなさまがご存知のように“原爆ドーム”とは・・・
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島市に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える被爆建造物です。“原爆ドーム”は原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして知られるようになりましたが、1960年代(昭和35年)には風化が進んで崩落の危険があることと、一部の市民から「見るたびに原爆投下時の参事を思い出すので取り壊してほしい」という根強い意見があり存廃の議論が高まったとの事です。
広島市当局も初めは「保存の経済的な負担がかかる」などの理由から保存には消極的であったとのことです。

その議論の流れを変えたのは、市内の女子高校生の日記に“原爆ドーム”の重要性が書き遺してあったとのこと。
女の子は、1歳のとき、広島市内自宅にて被爆し、15年後の1960年に被爆による放射線障害が原因とみられる急性白血病のため16歳でお亡くなりになられました。
女の子の日記に、感銘を受けた人々が“原爆ドーム”保存を求める運動が始め、1966年(昭和41年)に広島市議会が永久保存することとなったとのことです。

広島有料老人ホームにご入居されていらした方で、「被爆者手帳」を所持していられる方が何名かいらっしゃいました。その手帳には“爆心地から約2㎞区内”など明記してありました。

自分は、毎朝、建物確認の為ミソノピアの屋上を巡回しています。
屋上から見ると2㎞とは、“ミソノピア”から、“陶磁器美術館”くらいでしょうか。
2㎞を徒歩であるくと約25分だそうです。

広島市内に2年間赴任していたからでしょうか
自分にとって8月とは、『広島』のイメージがあるのです。
そして、みなさんがつくって下さった平和な日本に感謝いたします。